美作路 美作観光連盟
お通笛の会
2010.07/03(土) 岡山県美作市古町、武蔵の里大原、大原公民館で..第8回お通笛の会演奏会が行われました
今回は、もう一人のお通と題して...織田信長から徳川家康の時代を生きたお通のお話です....
時は戦国の世....美濃の国に領地をもっていた斎藤道三、小野正秀は斎藤道三の家臣として活躍していたのでした
その小野家に一人のかわいい女の子が天正7年に産声をあげたのです
その子の名は「於通(おつう)」、小野家には今まで以上の賑わいが、訪れたのでございました
そんな小野家や於通の人生が、大きく変わり始めます
主人である斉藤家が滅び、その後、織田家に仕えた小野正秀は、山崎の戦いで明智方につき、豊臣軍に討たれたのでございます
於通と母は、苦労の末やっとのことで京都に逃げ延びます
そして知り合いであった公家・九条種道の屋敷に身を寄せたのでございました....
その九条家で、於通は、和歌や書道・琴などの手ほどきを受けました
その稽古は大変厳しいものでしたが、於通には、少しも苦にはならないのでした
素直で明るい於通にとって、このことは、後の人生に大変役立っこととなりました
それと同時に、於通の暮らしには、大きな変化があらわれ始めました.....
第8回お通笛の会演奏会...2010.07/17(土)
お通笛の会
お通笛の会
お通笛の会
Hi..は1M以上の回線でご覧ください、flv表示はAndroid 2.2以上でご覧なれます
flv..表示の画像をPCでご覧になる場合フラッシュプレーヤが必要です....インストールは、こちら
九条家での生活にも慣れた頃、美しく成長した於通に、縁談が持ち上がりました
於通は言われるがままに、その話を受け入れます.....それは当時の女性にとって、ごく普通のことでした
嫁いだ先は、豊臣秀吉の甥、豊臣秀次の家臣・塩川志摩守のもとでした......
落ち着いた生活も束の間、於通の夫は毎日のように酒を飲み、飲んでは於通に暴力をふるうのです
そのため於通は夫と離別の道を選びます..... そして、その後は宮中に入り、九条家で磨いてきた技芸や学問の才能を生かし、女房たちにそれらを手ほどきをしたのでございます
いっも明るく優しい於通は、宮中のみんなに慕われました.....
そのころ、徳川家康は武家の娘である於通の、宮中での活躍ぶりを耳にします
そして慶長8年に孫の千姫が豊臣秀吉の実子秀頼に嫁ぐとき、於通を介添女房役に選んだのでした こうして、また於通にとって新しい活躍の場が生まれたのでした.....
於通は、大坂城の生活の中で希望のある物語を創っては、たくさんの女性たちに聞かせました
そしてその話はみんなを和ませ、明るい気持ちにさせるものでした
千姫の介添役というだけでなく、於通の名は大阪城内に知れ渡り、ここでも彼女を慕う女性は、みるみる増えていったのです
しかしこの時大坂城内には暗雲が立ち込めていたのでございます.....
大坂の陣、直前のこと...徳川家と豊臣家の対立は深まりを見せその色はますます鮮明になりました
於通は何とかその対立を和らげ、千姫を守ろうと昼夜問わずの交渉をいたしました...しかし、それがかえって誤解を受け、徳川家と通じていると淀君に疑われてしまいます
於通はとうとう大坂城から離れることとなりました....
やがて大坂の陣も徳川の勝利に終わりました
徳川家では二代将軍秀忠の娘かずこが後水尾(ごみずお) 天皇に嫁ぐことになりました
そして於通は秀忠から介添頭として、宮中に入ってほしいと頼まれるのです....けれど於通は、これまでの深い因縁に翻弄されてきた自分を振り返ります
そして摂津の土地に庵を建て、思い切って尼僧になったのでございます
その後、於通の技芸はますます深みまし、篠笛もこの時を境に、いっそう磨かれていったのです....
寛永8年、小野於通逝去....その時、庵には彼女が創作した物語が、残されていました
これまでたくさんの人たちと出会い、そしてどんな時でも、そのめぐりあいを大切に紡いできた於通そう彼女にしか書き上げることのできない物語でした
それは、一人の剣豪を慕い続けていく、優しくそれでいて信念のある、清らかな女性の物語でした.... 於通は主人公の女性に、自分の姿を重ね合わせ自分が果たし得なかった女性としての願いをこの物語に託したのでございましょう
- スマートフォン&auISでご覧になる方....QRコードでこのページを携帯に登録して下さい

ご意見、ご希望....info@musicfactor.jp

大原ふるさとまつり
美作観光連盟

...TOP...