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九条家での生活にも慣れた頃、美しく成長した於通に、縁談が持ち上がりました
於通は言われるがままに、その話を受け入れます.....それは当時の女性にとって、ごく普通のことでした
嫁いだ先は、豊臣秀吉の甥、豊臣秀次の家臣・塩川志摩守のもとでした......
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落ち着いた生活も束の間、於通の夫は毎日のように酒を飲み、飲んでは於通に暴力をふるうのです
そのため於通は夫と離別の道を選びます.....
そして、その後は宮中に入り、九条家で磨いてきた技芸や学問の才能を生かし、女房たちにそれらを手ほどきをしたのでございます
いっも明るく優しい於通は、宮中のみんなに慕われました.....
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そのころ、徳川家康は武家の娘である於通の、宮中での活躍ぶりを耳にします
そして慶長8年に孫の千姫が豊臣秀吉の実子秀頼に嫁ぐとき、於通を介添女房役に選んだのでした
こうして、また於通にとって新しい活躍の場が生まれたのでした.....
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於通は、大坂城の生活の中で希望のある物語を創っては、たくさんの女性たちに聞かせました
そしてその話はみんなを和ませ、明るい気持ちにさせるものでした
千姫の介添役というだけでなく、於通の名は大阪城内に知れ渡り、ここでも彼女を慕う女性は、みるみる増えていったのです
しかしこの時大坂城内には暗雲が立ち込めていたのでございます.....
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大坂の陣、直前のこと...徳川家と豊臣家の対立は深まりを見せその色はますます鮮明になりました
於通は何とかその対立を和らげ、千姫を守ろうと昼夜問わずの交渉をいたしました...しかし、それがかえって誤解を受け、徳川家と通じていると淀君に疑われてしまいます
於通はとうとう大坂城から離れることとなりました....
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やがて大坂の陣も徳川の勝利に終わりました
徳川家では二代将軍秀忠の娘かずこが後水尾(ごみずお) 天皇に嫁ぐことになりました
そして於通は秀忠から介添頭として、宮中に入ってほしいと頼まれるのです....けれど於通は、これまでの深い因縁に翻弄されてきた自分を振り返ります
そして摂津の土地に庵を建て、思い切って尼僧になったのでございます
その後、於通の技芸はますます深みまし、篠笛もこの時を境に、いっそう磨かれていったのです....
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寛永8年、小野於通逝去....その時、庵には彼女が創作した物語が、残されていました
これまでたくさんの人たちと出会い、そしてどんな時でも、そのめぐりあいを大切に紡いできた於通そう彼女にしか書き上げることのできない物語でした
それは、一人の剣豪を慕い続けていく、優しくそれでいて信念のある、清らかな女性の物語でした....
於通は主人公の女性に、自分の姿を重ね合わせ自分が果たし得なかった女性としての願いをこの物語に託したのでございましょう
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